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Pensamiento

- el hombre es una caña que piensa -

30歳 -自分とサルサとこれから-

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7月5日で30歳になった。

特に何も考えることなく勉強して、何かしらの仕事につけたらいいなと思っていた10代。
小さな村の、その中のもっと小さな地域、半径5kmくらいの狭い環境の中で育ってきて、その中での「赤石嘉寿貴」という存在しか見いだせていなかった。

実際に働くことで、将来どういうふうになっていたいのかを考え始めた、迷っていた20代。
働き出して一人暮らしを始め、自分の行動できる範囲が広まるにつれて、世の中にはそんなことや、あんなことがあるんだと知り始め、もともと好奇心旺盛な性格もあって、やったことがないことにもチャレンジする。

将来はどんな自分になっていたいのか?

それが分からず、自分の興味が向くものには何でもかんでも関わってみた。そうしていく中で、自分のやりたいことが何か見つかるんじゃないか、そんなふうにも思っていた。
とにかく何がしたいのか分からない自分をわきに置いて、何でもかんでも経験をすることで、幸い自分のやりたいことには出会えた。

一つのペアダンス・サルサが与えてくれるもの

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それに出会ったときには、そこまでやっていきたいと思えるようなモノではなかった。でも、なんでキューバにまで行って勉強しようと思えるほど好きになっていったのかな?と考えると、

一つは、ダンス自体が楽しさを自分に与えてくれる。

もう一つには、サルサを続けて行くことで、たくさんの人達と出会い、仲間と一緒に活動していく中で、自分の存在価値が見いだせたからかもしれない。
もちろん、自分がその中だけでしか生きていけないというわけじゃなくて、例えるなら、自分が一つの彫刻のように、様々な人と触れあうたびに自分の存在が少しずつカタチになってくるという感覚だろうか。
生身の人と触れあうたびに、自分がどんな反応をするのか、こんな時には、自分はこんな反応するんだとか、色んな感情がわいてくる、その反応をよく観察することで、ようやく自分がどういう人間かがよくみえてきた。
自分はこういう人間なんだー!って言えたらどんないいかと思うけど、そう言えないのも自分らしいのかもしれない。

よく他人の敷いたレールを進むとかいうけど、たしかにレールが通る道は整備されて、安心して、傷つくことなく走って行けるかもしれない。そこに乗って走っていってもいろんな経験をするだろうし、それもまた良いのかもしれない。
行き先が分かってるっていうのは、いつ到着するのか、どこまで行けるのかが明確で、心も安心する。

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でも自分はそれがつまらないモノに見えてしまった、何もなければ、あ〜何十年か後にはこうなるんだな〜って、だから、自分が選んだ道を、時にはだれも行ったことがないような道にも踏み込んでみる方が面白そうに思えた。

それでも、どんな時にも助けてくれる人達が自分の周りにあらわれるのだから、レールを走っていないと思っていても、本当はそうじゃないのかもしれない。

今までに会った人の中で、自分の父親と同じくらいの年齢の、当然だけど父親とは違う人生を歩んできた人達がいる、父親と同じ年だからか、それとも別の何かか分からないがとても親近感があって、いろんな話をしてくれる。
同じ話を何度もしたりするときもあるけど、自分なんかよりもたくさんの冒険談、面白い話をしてくれる。役に立つ話や、くだらなくて面白い話。
おれがお前くらいの時には。。。なんてよく言われて、くやしいけど、それを聞いていると、自分がいろんな人達と関わって来たと言っても、まだまだ冒険がたりないな〜なんて思いしらされる。
自分が彼らと同じ年齢になったときに、同じように役に立つ話、面白いくだらない話なんかができたらいいなーなんて思う。

だからいつも冒険する心、好奇心は失わずにこれからも歩いていきたい、いや30代はもう少し走ってもいいのかな?

自分のやっているダンスで何ができるのか?

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自分と踊って、楽しいと思ってもらうことはもちろん、一緒に気持ちよく踊りたい。楽しくなってくると、多少暴走することもあるけど。。。

踊ってもらう人には、リードを感じて気持ちよく踊ってもらいたい。ペアダンス・サルサには男がリードするという役目があって、ただリードする、回すそれだけじゃ女性に気持ちよく踊ってもらえない。

まずは音楽を知って、流れを読んで、それにノっていく。

サルサ(ティンバ)の音楽を温度に例えると、冷たい水から、熱くなったり、また冷めたりと、曲によってその温度は変わっていく。

「気持ちの温度」と「曲の温度」がぴったり合うと、気持ちよく踊れると思っています。

曲の温度は低いのに、急に熱い踊りをされると、まだ気持ちは暖まってないので、ちょっとビックリしちゃいますよね?

と話はそれましたが、サルサを踊るときにそんなとこまで考えなきゃならんのか、サルサって面倒くさいななんて思われそうだけど、おれの先生の受け売りで、曲の流れを読むことは踊るための重要な要素の一つだとおれも思うので、しっかり考えながら、というか、音楽はリズムを刻むだけのものじゃないので、曲の表情も良く観ながら(聞きながら)踊る。

こう考えると、男性はリードして、曲の流れを読んで、自分の踊りもしっかりしてと、ペアダンスでは男性の超えなきゃいけないハードルが女性より高い。

だから何が言いたいのかっていうと、サルサに限らず、ペアダンス、特に2人で手をとりあって踊るものは、続けていこうとする人自身に様々な経験をさせてくれます。
他の種類のスポーツにも同じことが言えると思いますが、サルサもまた心や体の成長を促してくれます。

ソロのダンスも、踊って人に見てもらったり、そのために練習をしたり、集団で踊ることで、自分に自身を持たせてくれたり、仲間と心を通わせることを学んだりする。

自分は、ペアダンスを

言葉を使わないコミュニケーション手段だと思っていて、これが磨かれることで、普段のコミュケーションの力も上がって来るんじゃないか

と自分の経験でそう感じています。

初めて会う人と、体と体を近づけあって踊る、最初は照れくさいし、自分の動きだけで精一杯で、リードも伝わらないかもしれない、頭は真っ白で、「次は何したらいいんだろ?!」と思いながら、同じことを続けながら、時間はいつのまにか流れ流れて、一曲が終わる。

それはまるで、初対面の人と会った時に話をする感覚と似ている。

初めて会う人とは、
どんな話をしようかな?
この人は何に興味があって、どんなことが好きなんだろ?
次はどんな話しよかな?

他にも、たくさん考えますよね?

ましてや、人と会うこと、話すことに慣れていないと、ドキドキしっぱなし。

でも、ペアダンス(自分の場合はサルサが)では、まず、見ず知らずの人を誘わなければいけない。でも、話すときとは違って、同じダンスがツールなのでごく普通に自然に「踊ってください」と話しかけることができます。これで、ファーストコンタクトの問題はなんなく解決できますね。

人間は物理的な距離が縮まると、心理的な距離も縮まると言われていて、まさにペアで踊ることは、お互いの体の距離が自然と近づくことになります。
すべての人にそうとは言えませんが、心の距離も縮まることになり、なんとなく話もしやすくなります。

人は、初めて会う人に対してきっと何かしらのバリアを持っていて、そのバリアを解いてくれる、またはその中に入れてもらえるには、それなりの時間がかかることがあります。
それを解く鍵はいろいろありますよね。

安易な考えかも知れないですが、ペアダンスは簡単に、一瞬でそれを解いてしまいます。それでも、考えなきゃいけないのは、相手のバリアの内側にいるということは、相手も自分のバリアの内側にいるってことです。

踊り一つでも、この人は乱暴だなとか、曲ちゃんと聞いてんのかな? 何を思って踊ってるのかな? ちょっと自分勝手だな。なんて分かるときはあります。
それが、その人の人間性がすべてだとは言いません。でも一緒に踊るだけでも分かることはたくさんあるってことですね。

だからこそ、見知らぬ人と踊るときには相手がどうしたら気持ちよく、楽しく踊れるのかを考えなきゃいけない、そのために普段練習する。
どうしたら女性は踊りやすいのか、いつのタイミングでリードするのがいいのか、どのぐらいの距離感が心地良いのか?この曲の流れは?ココでこういう動きが入ったら楽しいかな?

こうして見てみると言葉のコミュニケーションと似てますよね?

コミュニケーションをとるときには、自分のことを話すことも(自分の踊りをみせることも)大事ですが、もっとも大事なことは相手のことを考える、思いやることじゃないでしょうか?

リードを感じ取ってもらうためには相手のことを考えなければいけません。自分勝手なリードは伝わりませんから。

と偉そうなこと言ってきた自分もまだまだなんですが。。。

まとめ

ますと、一緒に踊るときは、だいたい初対面ですから、初対面の回数が自然と増えていきます。そのたびに、この人はどこまで踊れて、どんな踊りをして、どうしたら楽しんでもらえるのか...etc

そのように考える回数も増えて、自分の思ったことを実践していきます。自分のリードや踊りがイマイチの時もあったいり、良いなと思える時もあったり、とにかくダンスを通して、コミュニケーションの回数を重ねていくことができます。

そうして、ダンス、考えの質の改善もしながら、量をこなしていくことでダンスが上達していくにつれて、コミュニケーション能力もどんどんと伸びていくんじゃないかと考えています。

またサルサ一つで、いろんな国の人とコミュニケーションがとれます。

サルサが踊れたことで良いことは、南米なんかにいるとそうなんですがチーノ(中国人と言う意味で、アジア人を呼ぶときの名称)が踊れると驚くし、上手く踊れてるとなるとそれだけで声をかけてもらえる。それで、ぐっと距離が縮まり、仲良くなれる機会が増えます。

サルサを楽しいと思って続けてきたので、それは思わぬ良かったのことの一つと言えます。

そうでなくとも、サルサはヨーロッパやアメリカ、中南米など世界中で踊られているので、踊れるだけでいろんな国の人達と仲良くなるきっかけを作るのには役立ちます。

自分は大人になってからサルサをやり始めたけど、他のスポーツなんかと一緒で、子供のころから始めたら心身の成長や、どんな場にも出て行ける社交的な力も養うことができるんじゃないかとも考えてます。サルサに限らず、ダンスをすることはスポーツと同じくらいの効用があるはずです。
ペアダンス、とくに自分はサルサをやっているので、それを生かして子供達にも習って続けてもらえるようなものを作っていきたい。

今までは楽しむ側の人間、教える側の先生としての話だったけども、もちろんダンサーとしての自分にもチャレンジしていきたい。

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年齢的には遅いのかもしれないけど、なにができるのか?どんな表現ができるのか?

サルサや、自分の習った他のダンス、または日本、キューバで知り合った様々な人達、それらをつなぎ合わせて何か面白いことができないかを考えていきたい。

特に年齢を意識することなくここまできた、30歳になった、いや30年間生きてきた。
今はとても楽しいと思える毎日を生きている。これからも、楽しいこと、良いことがあると思う。でも同じくらい嫌なこと、つらいことがあるかもしれない。

それが人生で、だから面白い。

自分は何のためにこの世に生まれて、どこに行くのか?

だれもが「人生」という名前の世界を旅していて、その旅先でいろんなモノを見たり、聞いたり、人と出会ったり、色んな経験をしていく。

日本をしばし離れて、今は南米ペルーにいる自分を不思議に思いつつも、30年間生きることができた丈夫な体に生んでくれた両親、いろんな場面で助けてくれた人達、いつも暖かく迎えてくれる人達、自分に関わってくれるすべての人達に感謝しておわりたいと思います。

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