Pensamiento

- el hombre es una caña que piensa -

サルサとコロナとわたしの話

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いろいろと考えてはみたものの良い答えとうのは見つからないまま、考えがたらないのか、そもそも考える角度が違うのか、だれか答えを教えてほしいと思いながらも、今できることをするしかないなと思うにいたる。

自分の頭の中を取り出してみた駄文です。そして、データの読み違い等々あるかもしれません、ご指摘ありましたらコメント頂ければ自分の情報も整理され有り難く思います。

<目次>

 

動き出す経済と避けられない密接

現在、緊急事態宣言も緩和されて経済活動が再開され始めた。今までオンラインレッスンでレッスンを継続していたダンススタジオや、テイクアウトなどで営業していた飲食店なども通常の営業を始めている。自分の所属させて頂いてるカルチャースクールや、ダンススタジオも通常通りのスタジオレッスンを6月から再開する方向で動いている。

再開するに当たり考えることは「もし感染してしまったらどうしよう(自分がというより、感染させてしまったらや感染源となってしまうことへの心配)」ということにつきる。自分自身、起こらないかもしれないことを心配する質ではないのだけれど、だからといって「感染者も減ってきてるから大丈夫でしょ」と楽観的にもなれない。なりきれないでいる。

自分のレッスンの再開にあたり悩ましいのはペアダンスをするのか?というところだ。自分自身に「これは今まで通りのインフルエンザと変わりないんだ」と言い聞かせれば、何も怖いものなんてないはずなのに。

政府の感染症対策として「三密をさけよう」というものがある。以下引用

◆国民の皆様へのメッセージ

〇国民の皆様におかれては、風邪や季節性インフルエンザ対策と同様にお一人お一人の咳エチケット(咳やくしゃみをする際に、ハンカチ、袖などを使って、口や鼻をおさえる)や手洗いなどの実施がとても重要です。感染症対策に努めていただくようお願いいたします。

〇集団感染の共通点は、特に、「換気が悪く」、「人が密に集まって過ごすような空間」、「不特定多数の人が接触するおそれが高い場所」です。

 換気が悪く、人が密に集まって過ごすような空間に集団で集まることを避けてください。
厚生労働省ホームページよりhttps://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_11291.html

 

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「密集回避」「密閉回避」はレッスンへの参加人数や、換気等を行いながらなどで回避することができそうではある。しかし、一番さけられないのが「密接回避」はどうやっても回避できない、というか回避しようと思ったらペアダンスにならない。そんなの関係ないでしょと言って踊れるほど無責任にはなれない自分がいる。
「今踊れないんだったらいつ踊るの?」
「来年だったとしたら、なぜ踊れて、感染者が減ってきている今はなぜ踊れないの?」
もう一人の自分との対話が続く。

なぜ今は踊れないのか?

現在自分がペアダンスを熱烈に踊りたいのか?と自分自身に問いかけたときにそれほどでもないのかな?と、正直、踊りたくて踊りたくてしょうがない!というほどでもない。というのが自分の今の心のうちだろうか。
ダンスを教えていてその程度の熱量なのかと問われそうだが、実際現在の心境はそうなのだからしょうがない。

「今はペアダンスはできない、サルサのクラスを再開したとしてもペアダンスをすることはできない」
と頑なに思っているのはなぜなのか、何を具体的に恐れている(この心の状態をどう表したらいいのかわからない、書きすすめることで具体的に自分の心の状態がわるかもしれない)のか、今は恐れていると表現しておこう。

周りの人からみたら、なんでそんなに怖がってるのかわからない、なんでそんなに心配してるのかわからないと言われそうだが、実際、今の自分はなぜか言いようのない心配に取り憑かれているようだ。

そんな自分の心配事はサルサや、あらゆるペアダンスを踊っている人達にも共通の思いなのではないかと考えている。今までもインフルエンザだって、その他の病気だって、ガンだってなんだって、いろんな病気があるなかで、なんだって今回のCOVID-19についてそれほどに心配するのだろうか?
今回のコロナウィルスに関しても今まででのインフルエンザ位の気持ちにすぐなってしまってもいいのではないかとも思うけれど、なぜか今こうやって、今の出来事にたいして疑問をいだいている。今このことについて真剣に考えることはすごく大事なことのように思っている。

何を心配して、何を恐れているのか?自分自身への問いかけがこれらのことを解決してくれるかもしれない。そこから、何かを知って自分のこれからの行動の指針にしていけたらいいなと思う。

インフルエンザが日常だった時と何が違うのか?

今年も冬はインフルエンザが流行します。とニュースに流れているときはいつものことのように、さもただの風邪のように罹っても大したことないと数ヶ月前までは思っていた。今でも「インフルエンザ」という単語にはあまり心は反応していないようだ。なぜそういう気持ちでいられるのか?安心感を与えてくれているものの正体は何なのだろうか?

インフルエンザで亡くなったという話を聞かない

いままでに自分の身近でインフルエンザで亡くなった人はいないということが挙げられるかもしれない。2018年、2019年と日本でインフルエンザで死亡した人数は3000人を超えている。今でもコロナウィルスで身の回りで死亡した人はいないという点では、何も変わっていないんだよな。

しかも、コロナウィルスで死亡した人数は2月24日に国内で死亡が確認されてから5月30日現在までで累計891人、これが果たして多いといえるのだろうか?

toyokeizai.net

他の病気で亡くなる人の人数と、コロナウィルスによる死亡人数を比較することに意味があるのかは解らないけれど、調べてみることで何かがわかるかもしれないと思って、厚生労働省のホームページを覗いてみた。

分かったことは、令和元年だけで見てみると日本国内では1,376,000人、そのうち、死因で一番多いのが、悪性新生物(腫瘍)・がんで亡くなる方は373,584人、そのあとに心疾患、老衰、脳血管疾患、肺炎…と続いていく。

詳しくは厚生労働省のホームページを参照して頂ければわかる

www.mhlw.go.jp

 

死亡人数だけでみたら、圧倒的にインフルエンザ以外の死因で亡くなる人の方が多い、自分自身の話でいくと身の回りで亡ったというのは、最近だと祖母が亡くなった。もしくは、両親がインフルエンザ以外の疾病を抱えているといったところだろうか。もしかしたら、それが死因になるかもしれない。やっぱりインフルエンザで亡くなったという話は自分にとっては身近な感覚がないのはそのためなんだろう。

コロナウィルスの感染者・死亡者などの人数とその他の理由によって亡くなった方の人数をみていると、感染はするかもしれないけれど、それによって死んでしまうという確率はかなり低いのではないかと思う。癌の原因はわからいけれど、現代のストレスフルな時代(自分自身はさほどストレスを抱えていないと思っているが)を生きてるそれだけで、”ストレスウィルス”なるものに罹っている人の方が多いのかもしれない。心を病んで、体を蝕まれていく、もしかしたらそっちの方がよっぽど怖いのかもしれないな。

インフルエンザを予防するためのワクチン・治療するための薬がある

承知の通りインフルエンザにはA,B,Cと型あって、その中でA型とB型が季節性のインフルエンザとして毎年流行を繰り返している。そして、特にA型が多くの動物、鳥、豚、人、馬、ヒトetc に感染しさまざまな亜型を持っている。インフルエンザウィルスは釘の刺さったボウルのような姿をしていて、その釘のことを「スパイクたんぱく質」といって、HA(ヘマグルチニン)、NA(ノイラミニダーゼ)の二種類で構成されいる。「インフルエンザ パンデミック 新型ウィルスの謎に迫る」著者いわく、その2つがインフルエンザウィルスの性質を決定づける重要な役割を果たしているとのこと。

ニュースで発表される今年のインフルエンザは「A型 H○N○亜型 鳥or豚 インフルエンザ」と名前がついている。名前が違うのはウィルス達も日々、進化?変異を続けているからだ。当然ウィルス達も生存するために自分に改良を加えながら、というか感染した動物自身がウィルスに改良を加えているのだけれど、いやーウィルスもよく考えるよなと本を読みながら関心してしまった。そのため、HとNの組み合わせの違うインフルエンザウィルスが何種類かあり、それぞれのウィルを予防するするために人類も負けじとワクチンを作っている。今のところ後手後手のようだけれど、今のところ毎年ニュータイプが出てくるわけではないみたいで、流行するウィルスのサイクルは予想できているらしい。

全国民分ではないけれど、その流行予想にに合わせてワクチンは準備されている。ダンスをやっている、しかもペアダンスときた。もしかしたら、感染するリスクで考えたら結構高めなのかもしれない。そもそも、風邪に罹ってるときは自分も踊れないし、生徒さんも来ないか。

そんなことを考えるとホントは受けたほうが良いのだろうけど(と思っているところからして、すでに安心しきっている感がある)、どこかで罹っても死なない、病院に行って、薬もらって安静にしていれば治るよなと信じている。そのぐらい、ワクチンと治療薬がそろっているということは安心感を与えてくれているのだろう。ワクチンだって100%防ぎきれるものでもないのに。オカシイな話だ。

今回の新型コロナウィルスCOVID-19のような新しいウィルスに対して、既存のワクチンや治療薬の効果があるのかわからない、そのために、今一生懸命研究を続けてくれている人たちがいる。そうやってウィルスと戦ってる?ウィルスの謎を解明しようとする人たちがいたから、いままで安心して生活できていたんだなとも思う。

本を読んでみるとわかるのが、ある日、突然変異で今までにない亜型のウィルスが誕生するのは間違いなさそうだ。詳しく解説している本や人はたくさんいると思うのでそちらを参照してみてほしい。

人間のは思う。ウィルスは超絶に悪いやつだ、だって自分たちの生活、仕事、すべてをパーにしてしまうなんて!でも、ウィルスが話せるとしたら、人間だって同じようなもんでしょと言われているかもしれない。ふと自分も陥りがちだけれど、人間は人間が一番となぜだか思いがちだし、自分が一番、自分が正しいとか、優劣をつけたくなる。自分だって人間だし、食わなきゃ生きていけないし、自分の命が大切だ。そういう意味ではこの地球上に生きているものすべてが同じ思いをもって生きている。だから、他の種族がわるいかなんて人間には決めることなんてできないだろうな、上手に付き合う方法、考え方を学んでいかなきゃいけない。

なんて、生き方にまで手を伸ばしそうになるけれど、そこに蓋をすると見えてたことも見えなくなっていってしまうのかもしれない。

何を心配して、何を恐れていたのか/いるのか?

頭の中だけで考えているうちは漠然と怖がっている感じで、こうして、自分の疑問に答えるように、考えたことを文字にしていくことで徐々に自分の思考が整理されてきている。されど、自分の求めている答えにはまだたどり着かないようだ。

インフルエンザが日常だった時と何が違うのか?のところで書いたことが、今から少し前の自分の心配ごとと恐怖心であり、それに対してはその時にできる対応をとってきていると思う。

それとは別に自分が感染させてしまうのではないかという心配と怖さがあった。というより今もまだそう思っている自分がいる。自分が罹ってしまうことよりもなんだか責任が重い気がする。気がするだけなのだけど、自分で作っている、自分に向けられたその雰囲気を払拭することができないでいる。データを色々とみたり、そこから考えたりしてはいるものの、起こり得るかもしれないし、そうとは言いきれない。半分半分という感じかな。

ちなみに、今回のテーマは「また皆となんの心配もなくペアダンスが踊れるようになるのは、何がどう変わったらなのか」というところだった。今のところ、コロナウィルスへの具体的な対応策というのは「密集、密閉、密接を避ける」「手洗いうがい」「マスクをつける」ということぐらいだけだから、ペアダンスをしないで踊ることはできるよなとは思っている。

だったら何の心配もなくペアダンスだって踊ればいいじゃないか、同じスタジオに人が集まって、距離をとって踊る(両手を伸ばしてお互いに手が触れない程度と言われているが…)のと大差ないんじゃない?と、もう一人の自分が言う。コロナウィルスの感染縮小にともなって全国的に普通の(と思われる)生活に戻りつつある。そして、スタジオレッスンが始まることで、どうレッスンを行っていくのか?ということをさらにつめて考えるところに来ている。自分もどうやっていけばいいのか解らないでいる。その気持を実際に自分生徒さんに先日のオンライレッスンの時に伺ってみた。

スタジオでのレッスンはOKだけど、ペアはやっぱりまだできないという風な話がきけた。中には、社交ダンスに通っていた方もいて、社交ダンスの方は普通(何かしら対応されているとは思う)に組んでレッスンをしたり、ダンスホールでパーティーをしたりしているとのこと。その方は、「私はまだ行けないな」とお話されていた。

スポーツジムに通われていた方も今は休んでいるとのことでした。ちょうどクラスに来てくれていた方々が年齢層が高めの方が多かったので、今のCOVID-19には特に敏感に反応されている気はする。(高齢者の方が重症化、重篤化しやすいという風にいわれている)

感染する確率は本当に低いのかもしれないけれど、ここまで人を心配させているものの正体はなんなのか?毎日見るであろうニュースかもしれないし、社会の雰囲気なのかもしれないし、ワクチンや治療方法が確立されていないことや、芸能人が亡くなってしまったというニュースの強いインパクトなのかもしれない、そういったネガティブなニュースが多いのも心配のタネを育てる一つの要因なのかもしれない。

先日、スウェーデンは集団免疫獲得を目指すという方針をとっていた。そういえばポジティブなニュースがあったではないかと思って、今一度どうなっているのかニュースサイトを覗いてみた(懲りずに)

<厳しい封鎖措置を取らずに集団免疫獲得を目指す政府の方針は正しかったのか>

新型コロナウイルス対策で厳しいロックダウン(都市封鎖)を行わないという独自路線を貫くスウェーデン(人口19万人)では、57日の時点で同ウイルスの感染者が少なくとも24623人、死者の数は3040人に達している。

この状況についてスウェーデン公衆衛生局の疫学者アンデシュ・テグネルは6日の記者会見で、「死者数3000人だ。これは恐ろしい数字だ」と語った。

テグネルは同国の新型コロナウイルス対策の責任者で、これまではロックダウンを行わない政府の決断を支持してきた。だが今では、反ロックダウン戦略が最善の選択肢だという考え方に「納得はしていない」と認めている。

「まったく納得はしていない。何が最善策なのか、いつも頭を離れない」。テグネルは首都ストックホルムに拠点を置く日刊紙アフトンブラデッドにこう語った。
NEWS WEEK
日本語版より 

www.newsweekjapan.jp

 

アンデシュ・テグネルという方の人となりについては知らないが、専門に研究をしている疫学者でも頭を抱える問題、一般人にだってどうしていいか分からないわけだ。学者だって、じいちゃん、ばあちゃん、トンボだって、カエルだってみんなみんな生きているんだ。。。じゃなくて、全人類、豚、鳥にだって未知との遭遇であるということが言えるのかもしれない。

自分には知識があると思っていたところで、それを超えてこられることほど怖いことはないのかもしれないし、逆にそれをどうしたら解明できるのかという思いも湧き上がってくるかもしれない。自分自身も自分のやっているダンスについても同じことが言える。

逆に知らないことだらけで、自分には知識がないからこそ、この程度の心配や、恐怖で済んでいるということも言える。

こうやって自分一人で考えていても思いつくことなんて限界がある。だから、他の人達が今後の展開をどういう風に考えているのだろうかということにも興味がある。同じ分野、違う分野、それぞれに考えているだろうし、もうすでに動き出している人もいると思う。自分も、今できることをやりながら、こうやってパソコンの前に座って考えてもいる。自分の頭のなかにある妄想、戯言を出してしまった隙間にまた新しい考えが流れ込んでくるんじゃないかな?なんて期待しながら。

何を知らなければいけないのか?

今回感じたこと、思ったこと、考えたことを「なんとかなるでしょ」の一言だけで流してしまって、心配することも忘れてしまっては何の教訓にも、自身の経験にも残らない。何かを知ることが一歩前進するための知恵に変わるかはわからない、知ったところで時が経つのを待つしかないという答えになるかもしれない。

歴史を振り返ると、1500年代にスペイン人がインカ帝国、アステカ帝国などの中南米の植民地化をすすめる際に病原菌が一緒に持ち込まれそれにより大量の死者が出たと言われている。具体的な数字はこちら。

その後、1900年代に入ってからは

  • 1918年 スペイン風邪(スペイン・インフルエンザ)
  • 1957年 アジア風邪
  • 1968年 香港風邪
  • 2003年 SARS
  • H1N1豚インフルエンザ、H5N1鳥インフルエンザetc

このように何度も同じようなことが起こっている。自分は今回のような事態を経験したこともなければ記憶にもない。毎年インフルエンザが流行っているように、今後も同じようにウィルスが流行するのは間違いない。そうなった時にこの経験から学べることはたくさんあるはず。

本から学ぶ、パンデミックとは何なのか?コロナウィルスとは何なのか?

このような事態で今まで通り行えなくなったレッスンではあるけれど、その御陰で空いた時間がかなりできた。今まで読めなかった本や、読んでみたいと思う本もたくさん出てきた。そんな中、今回のような疑問が自分の中に湧き上がってきたこともあり、コロナウィルスとはなんなのか?何ものなのか?ということを知りたくなって、コロナウィルの本というか、インフルエンザ、パンデミックに関する以下の本を読んでみた。

 

「インフルエンザ パンデミック 新型ウィルスの謎に迫る」の方は、ウィルスのことに詳しく書いてあり

  • ウィルスの構造
  • ウィルスがどうやって人に感染していくのか
  • ウィルスの型の違いはどういったところで判断しているのか
  • ウィルスがなぜ鳥や豚や人間の間で感染してくのか

などなど、ウィルスに関する基礎知識を知ることができる。

理系の大学生が読んでも十分に読み応えがあるようにあえて記載した。

と著書にあるように専門用語やインフルエンザの構造、図などたくさん出てくる。「今年もインフルエンザが流行ってるんだな~でも自分は罹ってないから」と他人事のように感じていた何の知識も持たない自分にとっては専門的すぎるくらいなことを書いてあり、完璧には理解できてはいないけれど、この本を読むことで誰でもインフルエンザウィルスに関する基礎知識を学び取ることはできる。

 

パンデミックとたたかう (岩波新書)

パンデミックとたたかう (岩波新書)

 

 「パンデミックとたたかう」の方は、押谷仁教授と瀬名秀明氏による対談形式で進行していく。2009年出版の本で、当時の新型インフルエンザのパンデミック(その当時パンデミック宣言がされていたというのも自分の記憶にはなかった)、これから起こるであろう新型インフルエンザのパンデミック、SARSウィルスの感染拡大を防いだときの話を織り交ぜながら、インフルエンザに対する知識や、どのようにして恐れと対峙するのか、どのようにしてパンデミックを乗り越えるのか、個人だけの問題ではなく世界全体の問題として俯瞰する力の必要性など、一人ひとりができることは何なのかということが書かれたある。

著書の中に自分に響いたいくつかのメッセージが載ってあったので少し紹介する。

「過度に恐れず、しかし適切に恐れて、想像力を働かせ、冷静に対処し、危機を乗り切る」

「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」(「小爆発二件」、『寺田寅彦随筆集第五巻』岩波文庫)

 

 

COVID-19がニュースなどで騒がれるようになった当初は、いつものインフルエンザと変わらないんでしょ?程度だったのが、いつの間にか、感染させてしまったら、自分を中心に感染が広まってしまったらと、自分の感情が変化していった。

このコロナ禍のなかでよく考えるようになったことは、世の中に溢れている情報というは、本当の現実を映し出してるのか?ということだ。本当の意味での正しい情報というものはなくて、その情報を流している人の中を通って出てきてということは何らかの加工(自分の信じるもの、自分が正しい、悪いという無意識の思い込み)がされた”二次情報”であるということ。どんなに信頼のある情報であっても自分の目で見る、感じること以上の情報はないのではないかと思う。そう言っておきながら、自分がキャッチする情報だって、自分の好き嫌い、良い悪いが加味されていて、本当の情報をキャッチしているとは言い難い。見たいものだけをみて、そこにどんな意味付けをしているかで、自分がみているモノゴトだって変わっていく。

まとめ

ウィルスや免疫などを研究している方々のWEBサイトや本などを参考して自分なりに考えてきたけれど、結局明確な答えというのは得られなかった。専門に研究している人達にも解明しきれていないのだから、それらを元に考える自分は明確な答えを出すのはさらに難しいよな。感染予防のために経済をストップすることによって、感染や感染による死亡を減らすことはできる。だけど、長期化することによって仕事を失い、その他の理由で死亡する人がでてくるという。そんな経済おかしいやろ!と今さらツッコミいれても何の意味もないことでだったら新しい生き方考えなきゃならないし、今はそれが何なのか、どんなものなのかもわからない。現在は自分が生まれたときから動き続けている誰かが作ったこのシステムが地球上の殆どの場所で動いている。何の疑いもなく。

パソコンの前で、ポチッとボタンを押すと遠くにいる誰かの元から欲しかったものが運ばれてくる。その欲しかったものも、また別のだれかの手によって生み出されて、また誰かの手に渡り、海を超えてやってくることもある。便利な世の中であるというのが、今は普通になっている。不便だと思わなければ、便利だということをついつい忘れてしまう。いつもそうだけど、何かが無くなってみないと今まであったものの存在を本当には感じられていない時がある。

自分ひとりの行動がたくさんの人につながっているこの世の中、というか自然界、宇宙がそうなのかもしれない。だれかが起こした波に乗るのか、自分が考えて行動することで自分から波を起こすのか、そもそも、すでに色んな人が起こした波に飲み込まれてるっていうことも考えられる。いい波を見つけて乗るしかないのかもしれない。

こうして書いていると、大きな大きな中国という国の小さな小さなウィルスが起こした出来事が自分自身と繋がっているという不思議を感じずにはいられない。もう世界中つながっていないところなんて、ないんじゃないかと思うくらいに世界は密接に繋がっている。

何も偉大なことなんかしなくても、ウィルスとウィルスに感染してしまった人がとった些細な行動がこうして世界に大きな影響を与えてしまう。そう考えると自分の行動一つがまわりに与える影響というのはやはり大きいのかもしれない。ネガティブな方向で考えたら動けなくなってしまうこともあるかもしれないし、でも逆にポジティブにとらえたら自分の行動一つで世界は変わるという壮大な話になる。でも、この世界は自分が考えて、行動するという結果が波紋となって広がり自分のみている景色を変えていく。

色んなことを考えすぎてよくわからない方向に考えが走りすぎている(笑)

今の状況の中で「ペアダンスとしてのサルサを再開するためには?」への具体的な方針はやっぱり見つからないままだな。。。自分的にはなんとなく踊る方向に心が向いていない。「何も気にしないで踊れば良いんじゃない?」と思える人たちも中にいるかもしれない。そう考えると、自分はただ単純に臆病なのかもしれない。先の未来から振り返った時に「なんでそんなにビビってんだよ」と言われるかもしれないし、「あの時やっていなくてよかったな」と言われるかもしれない。いずれにしても、自分が信用に足るという情報をもとに考えて選び決断しないと、最後にはだれかのせいになってしまう。

究極的には自分の心がまた踊れる時が踊れば良いんじゃんないかと思っている。ふと思ったけど、今自分がペアダンスのレッスン、パーティーをしない方向に考えているのに「いつなら再開できるんだ?今の状況で再開させないといけないのか?」と同時に考えている。本来なら自分の気持に素直に従ったほうが心はとても落ち着く、でも、自分の内側や外側から元に戻っていかなきゃいけないという謎の圧力が働いている。本当は嫌われる勇気がなくて、自分の決断に大きな声でYES!と言い切れていない自分がいる。生徒さんやサルサで繋がっていた人達が離れていってしまうかもしれない、ということも一つ心が恐れていることなのかもしれない。サルサがお仕事ではなくなってしまうのはさほど恐ろしいことではない、仕事はたくさんあるし、やろうと思えばなんでもできると思っている。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏が人類が作り上げてきた歴史という物語は「想像上の現実」が生み出したものだという言う。自分がそう理解しているだけなのだが。たくさんの人達が待ち望んでいるというのも実は自分自身が作り上げている壮大な妄想なのかもしれない。自分の心が作り出したものに自分で縛られているのかもしれいな。

何も恐れないのだとしたら、こういうだろうな

今はペアをできない。

いつから再開できるかも今の段階では決断できない。

安心して再開できるとしたら、いくらかの効果が期待できる特効薬ができた時だろう。

色んな状況を自分なりに考えて決断した時、間違っていたとしても、自分が決断したことなのだからしょうがないと言える自分でいたい。

なによりも大事なことは安心して取り組める状態というのが、踊る楽しみを届ける、なにするよりも大事なことのように思える。

ペアダンスが楽しいものだということは十分分かっている。あいも変わらず好きでずっと続けているし、その楽しさを伝えることを仕事にしている。でも、ペアでなくても「サルサ」というものを自分は楽しめる(他の方々はわからない)、離れていても一緒に音楽を楽しむこともできる。何よりサルサの音楽が好きなのだから、今はそこにこだわる必要はない。と自分は思っている。

というのが現時点での自分の結論なのかな?と、まだ曖昧なままでウケるw

【参考資料・本・WEBサイト】

 

まだ全然読み終わらないのだけど、教科書に載っている歴史ではない視点から書かれた人類史,人類ってアホだなとも思うし、同じ歴史を今も繰り返してるのかな?とも思えてくる。

銃・病原菌・鉄 上巻

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銃・病原菌・鉄 下巻

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パンデミックとたたかう (岩波新書)

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WEBサイト

山中教授のWEBサイトから、つながりのある医師のかたの考察なども読める。今の対応のしかたは間違っているんじゃないのか、こういう対応の方がいいなど、やはり意見が分かれる。じゃあ自分たちはどうしよ?というふうに考えるきっかけを与えてくれる。

コロナウィルスのことだけでなく、今までの生き方でいいのか、これからはどうやって生きていくのがいいのか?なんとなく、奥の方にしまっていたことが紐解かれてしまった今、それを見て見ぬ振りをして同じ日常に戻っていくのか、漠然とした思いや考えしか思いつかないけれど、もっともっと良い未来(技術が発達した未来という意味ではなく)を考えるのか。いつも思考停止していた自分に気付かされたし、その状態に陥らないように考えを深めていきたいとも思った。